
商店街には、街のところどころに
地名の由来の看板が記されてあります。
(写真をクリックして、拡大してみてください!)
『水窪の町を時の都、京都』 に見立てて
いろいろな地名がつけられたのだそうです
南北朝の時代、後醍醐天皇の孫
尹由(ゆきよし)親王を守るため

この地の豪族、奥山氏が高根城を築きその対岸に親王の仮宮を建てました。ここを
内裏(大理)とよび
親王が
御旗をあげたところを小畑・・・(最初は御旗と言う名前だったとのことですが、恐れ多いと言うので、小畑と言うように変えた)
として地名がついたのだそうです。

尹良親王につきましては隣、南信の大鹿村に
住んでいた南朝の宗良親王の皇子という人で、
極めて広範囲に活躍されたらしいのです
(実在の人かどうかは、諸説あります)
当時から、この地と南信との関わりは深く
浪合村には尹良親王のお墓とされるものがあり
住民は600年も前から守っています。 (写真は、親王のご陵墓です)
私が感じているのは遠い京都から多くの人が、
私達の住んでいる北遠・南信に来たことにより
文化も同時に持ち込んでくれた。
その影響は今日でも続いていると言うことです
こんにちは、初めてコメントさせてもらいます。
水窪なんでも情報局とても面白いアイディアですね。
春野なんでも情報局とは管理者が同じなのでしょうか?
私もブログで何かできないかと考えているところなのですが
なんでも情報局を天竜でも作れないかなと思って
コメントさせてもらいました。
ブログから始める地域活性化!簡単ではないでしょうが
やりがいがありそうですね。
こんばんわ!ハチさん
水窪なん・・・局は、春野・・・局と管理者はまた違いますが、開設にあたってご指導いただいた方は一緒だと思います。
このブログは、「水窪情報サイト」というHPの一部なんです。このサイトはすべてブログ形式で構成されています。(良かったら、一度どうぞ)・・・お気に入りにありますので。
今、地域の商店合同でブログを作り、商店情報の掲載や店のチラシ代わりに使い、消費者に買い物情報を提供・・・といったビジネスブログとしての活用を企画中です。
もちろん携帯・PCを有効に使って・・・などシステムも検討中です。SNSより簡単に、高齢者も学生も誰もが参加出来ることが、基本なんですが。
思い切って、ITを狭い山の町だけででつかっちゃえ~~みたいな発想です。そこから派生して、都市部までにネットワークが広がれば・・・と。最大の利点はコスト安と手軽さですので。
興味いただけるようでしたら、またご連絡ください。お待ちしています。
丁寧な返信ありがとうございました。
ブログの記事がホームページとリンクしているんですね。私もブログの更新状況をホームページにのせたかったんですよね~☆でもやり方が分からなくて…今度ホームページを作ることになったらやり方を教えてくださいね。
山あいの町だからこそインターネットを使っちゃえという気持よくわかります。都市部だったら利害が競合していたからかうまくいかないだろうから…
でもやっぱり、ネックになってくるのはインターネットを使いこなせる人が少ないということですよね。その点を克服できればとてもいい広告手段になると思います。お互いいろいろ考えながらがんばりましょうね!
地名の由来の看板にプラスアルファーが記されていて、とてもわかり易いです。
歩いて、看板を読んで軽く通り過ぎていましたが、立ち止まって読みたくなりました。
私がブログに取り上げる時に、一部の情報を頂いてもいいでしょうか?
misaku_55さんへ
コメント有難うございます。情報提供に関して・・・水窪民族資料館での資料等、記事や写真の掲載は了解いただいていますの大丈夫と思います。
また、お店など個人情報の関しても趣旨は説明してますので・・・
私の集めた資料で良かったらご自由にお使いください。
早速、有難うございます。
水窪町にあります、長者屋敷と石塔を調べております。中峯覚伝という人物の事など分かる事がありましたら教えて頂きたいです。
宜しくお願い致します。
minami さん こんにちわ
詳しいことにつきましては、水窪民俗資料館にてお聞きいただけるとよろしいかと思います
内容は、水窪情報サイトというホームページのリンクからも入れますが
〒431-4102 浜松市天竜区水窪町地頭方1097
053-987-1620
もしくは水窪地域自治センター地域振興課
Tel:053-982-0013
こちらには、地元の歴史や文化を研究されている元教諭や地元研究家の方たちのグループが交代で、毎日勤められています
こちらでしたら、詳しいことがある程度は、分かるかと思います
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
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