
この道は、後に
秋葉街道そして信州街道と呼ばれ
延々200キロにのぼりそのほぼ中央に
水窪があり宿場町 として栄えました。

塩の道高札の横に、昔塩の道だったと言う所を整備して
今は階段を作ってあります。
この急坂を荷車に積んだ塩を運び上げるのは
大変だったとおもいます。
道沿いには、
昔は芸者置屋をしていた木造三階建ての立派な家もあり情緒があります。
その横の
鈴木屋旅館さんも数々の歴史を残す町の名門です
林業が盛んだった頃は商談で昼間から宴会が開かれ賑やかだったと書かれています。

この街を歩いてみますと確かに
旅館や
割烹料理店の名残が多くあります
初音(はつね)、松葉(まつば)、雲雀(ひばり)、
・・・粋な名前が並びます
そして、当時の繁栄を思い起こさせてくれます
戦国時代には、武田信玄が上洛のため甲斐から信濃を経て
青崩峠を超えて遠江進攻を図った戦いの道でもありました
鈴木屋旅館、、、ブログでみるとまた違っていいとこみたいに写ってますね。
ちなみにこの看板、新しくしたばかりです。書いたのは夫です、字体をいろいろ考えてこれになりました。水窪の大火の前はここも3階建てだったそうです。建って1年くらいで火事にあい祖母と祖父は大変だったようです。
木造3階建てのもろくずや旅館もなくなって通りがさみしくなりましたね。
太田屋さんには、いろいろ置屋時代のものもありますね。
こんばんわ!
最近感じるのは、カメラを通して風景を見ると今までと違う世界が広がるようです。この街って結構、素敵な所あるじゃん!みたいな・・・
丁度、この時は鈴木診療院の勝彦先生とお会いして・・・もろくずや旅館のこともあり、「何か昔の良き水窪の景色が無くなっていって寂しいね」との話に。
先輩にも、お力お借りして(ご主人にも)良きこの町の姿、多くの人に知らせたいですね!
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