家の近くに、今は使われていない中学校寄宿舎があります
昭和45年9月に渡元分校が廃校、
翌年の4月、門桁中学校も廃校となり本校に統合
それと同時に、本町地区に水窪中学校の寄宿舎「有朋寮」が開設されました
「有朋寮」は、有名な論語の「有朋自遠方来不亦楽呼」からだそうです
♪ 朋(とも)遠方より来るあり、亦(また)楽しからずや ♪

鉄筋3階建て、当時県下一の大きな寄宿舎でした
今も、そのままの姿で残っています
街中から遠距離地域の生徒が親元を離れ入寮、在舎生はこの年98名
一部屋が4人、2段ベットの共同生活、部屋数は30(一部2人部屋)もありました

多分この1期生と同級になります。丁度、寄宿舎が私の家の裏手になり、
当時は、朝・夕に横を皆が通学するので、本当に賑やかでした
そういえば、寄宿の寮生が週末に自宅に帰省するので
土曜日の昼も水窪中学は、簡単な給食があったんですね
懐かしい思い出です~~~
平成17年3月をもって、水窪中学校寄宿舎「有朋寮」は閉舎されました
この年の7月、市町村合併により水窪町が浜松市になり
中学も浜松市立へと名称を変更することになったのです
学校の先生は一度は山の学校を経験しました。純粋で素朴な山の生徒を指導すると町に戻るのがいやになる先生もいたようですね。
こんにちは
同級生(寮生)が、先生と風呂に入った事を
楽しそうに話していたのを覚えています。
家が恋しくてホームシックになる寮生もいたから、
先生も色々と気を遣っていたのでしょうね!
TETSUさん こんばんわ
当時、寄宿の寮生は、街中からさらに車で30分~1時間もかかる集落が自宅でした。
今のように道路も整備されてなく、家に車も無い時代です。
でも、みんな気持ちはピュアでしたね!
寮でも上級生が、兄弟のように下級生の面倒を見ていました・・・
まるの字さん こんばんわ
記事を書いていても、懐かしい思い出がよみがえってきました。
思えば、当時12~13歳で親元を離れての生活だったんですね!
まだ、本当に子供です、寂しかったと思いますよ。
みんな、あの頃はよく頑張ったんですね
そんな子供たちも、もう50歳・・・ウ~ン考えさせられます?
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