親戚の家に出かける母を送って地元の駅まで
水窪中学前にある向市場駅は、隣の水窪駅より更に小さな駅
もちろん随分と前から無人駅となっている
こんな風に飯田線の大半の小さな駅が、今では駅員はいない

当時あった駅舎の姿を思い出そうとするが???思いつかない
時の流れとは不思議なもので、ずっとこのままだった気がしている
朝夕の高校生の乗降以外に、利用客の姿はほとんど見ない
(佐久間高校へ通う生徒も、今ではわずかな人数だけど・・・)
ちなみに・・・佐久間ダム建設のため佐久間 - 天龍山室 - 大嵐間 が廃止
昭和30年に佐久間 - 水窪 - 大嵐間の新線ができ
今の相月駅、城西駅、向市場駅、水窪駅が開業した
1960年から1980年代にかけては、新宿、長野、名古屋などとの間に
直通急行列車が走っていたが、モータリーゼーションの波が到来
中央自動車道が全通し、これを経由する高速バスなどができると
利用者が激減したため廃止された