昨日の「浜松市・山村活性化」についてのブログ記事について
ある方面よりご批判をいただいた
せっかく、国や自治体が山村の再生に取り組もうとする時に
地元住民が、水をさすような考えはいかがなものかと?
第一これまで山村住民は、行政に頼りきりで、まるでおんぶに抱っこ
すべて他人任せできたではないか、何を今更・・・・と

弁解する気はありませんし、もっともなご意見です
山村が、あまりにも自立への取り組みを怠ってきたことは事実
道路が欲しい、施設が欲しい、ダムの補償が欲しい、企業を誘致して欲しい
林業や建設業の低迷も、元々は不動産バブルに似たところもあったのです
好景気の頃は、林業家も関係従事者もしっかり儲けていましたから、、、
しかし、その時代の負の遺産まで、今ここに住む住民が全て背負うべきなのか?
大半の住民や若者世代は、そのバブルの恩恵すら何も受けていないし
疲弊し苦しむ山村の姿しか知らないのです
責任論を問うなら、これまでの国策の誤りはもっとも責が重いと思うのですが・・・
林業、過疎政策の取り組みは、あまりに右往左往してぶれにぶれてきた
浜松市としても、どこまで踏み込んで山村対策に取り組んできたのか?
浜松市合併前、ある会合の場で当時浜松市商工会議所の会頭とお会いした
「○○君、合併しても(旧)浜松市に頼っちゃダメだよ、自分達で何とかしないとね」
生意気にも「では、浜松市駅前再開発はどうなっておられるんですか?」とたずねた
あれから4~5年になるのか? どちらも凍りついたままの状態・・・
山も都会も、次世代を担う若者・子供達は良き時代を知らない
将来に夢を托せる都市や村でなかったら、その地域が存在していく価値が無い
・・・私はそう、思うのです
その意味で、自治体も企業も地域再生や過疎化対策に関わろうとする人達には
少なからず己自信の意識改革をもって、真摯な態度でのぞんで欲しいと考えるのです
今日は文化の日なのでその話題があると思ってましたが・・・・
こんにちは、旧浜松市の者として恥ずかしいです、いまの浜松は前にも申しましたが魅力は無いです、大都市圏に近く交通網も良く立地条件は良いはずなのに何故なんでしょうね?
大手自動車製造業は国内生産を九州に移行しましたが浜松より立地条件はよくないです、でも選ばれたのは九州です企業誘致は行政の力が大きいです、企業も行政からの好条件の良い場所を選ぶのですから・・・・
浜松駅周辺も山村の現状をもっと見て調べてから批判するべきですね
現状をしればあの記事に対して批判出来ないですよ、しょせんは何も知らない奇麗事のみでの判断です。
いまの世の中、山村の活性化は自然破壊した場所を元の環境を戻すより困難だと思います。(たとえが悪いですが・・・)
浜松人さん こんばんわ
少々感情的になりすぎた記事になっていたかもしれません
限界集落(あまり好きな言葉ではありませんが)という概念が生まれて久しくなります
農山漁村の自然環境についての理解も当たり前の時代になりました
しかし、何故に山村や林業を守らなければならないのか?
身近な問題として関わる人はごくわずかにすぎません
ここに住むものでさえそうなのですから、まして都会にとっては無理からぬことですね
今でも、山村活性化の必要性を疑問視する声さえも当然あります
戦後間もない頃、国が村から都会への人口流動政策をとった時期があります
不便で非効率な農山村をきりすて、便利で効率の良い都会で暮らすことが国民の幸せにつながる・・・理論でした
その結果が、当時の公害や放置林の土砂や流木による自然災害を起こしたとして政策の転換がはかられ、現在の過疎法のもとになってきました
結局、山村の価値とは一体何なのだろうか?・・・なのだと思います
本当はここに住む私達がその価値を伝えないといけないのでしょうね
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
前の記事
次の記事
写真一覧をみる