先週末の静岡新聞に「浜松市の山村活性化」
林業と過疎に具体策を・・・の社説が書かれていた
全国でも森林面積が市全体の7割を占める政令都市は珍しい
今回、国交省・林野庁など4省庁で山村活性化の調査事業がおこなわれるらしい
テーマは、林業不振と過疎からの脱却、そして地域での自立再生
目指すところは、林業の再生と雇用拡大による地域活性化策を軸に立て
「浜松モデル」を全国に発信らしいのであるが???

ただ、実際のところは、どうなのかという疑問が先行する・・・
先日、県のタウンミーティングにも出席させてもらった際の
北遠各森林組合や林業関係者からの現状を総合しても
そう簡単に、具体的な打開策が見出せるものではない。。。
低迷し長びく林業衰退(=山村衰退)は、すでにここ数十年来の懸案事項
広がる山村の限界集落化、担い手の高齢化などが更に問題を難しくしている
私自身も・・・記事にあった外国人雇用にもかかわった
・・・自治体やJA施設の再生の仕事もすでに5年になる
・・・国の進めるグリーンツーリズム事業にも今、現場で関与している
これまでにいくつもの「山村活性化」なる様々な提案にお付き合いしてきたが
都会の無責任な第三者的評論家やお役人、一部の飯(めし)の種目的の人間は
この地に机上の空論をふりかざして土足で入り込み、ダメになるとそくそくと退散
住民はただ振り回され、そのたびに言葉にならない失望、絶望感と疲労が残された
「そんな話は、もうたくさん!」、ここ山に住む人達の本音だろう
・・・失礼ながら、そんな印象しか受けなかったのである
(けっして、山に住む側の自己責任を回避しているわけではない、、、
自助努力の不足や、将来へのビジョンが欠落していた山村にも責はある)
ただ、現実にこの数十年で、多くの山村の生活がどうなったのか
見れば簡単なこと、どこから手をつけたら再生・活性化への道が開けるのか?
誰ひとりとして、その解をみつけられないでいる
思いつきや、小手先だけの山村活性化策が、いかに無意味で無駄なものだったのか
この問題は、この山村で身を切り、血を流す覚悟で望まなければ無理なこと
中途半端な取り組みをするのなら、何もしない方がましである。。。
何もしない方がいいかもしれませんね。そのままがいい!
四季の移りかわりの中で、自然と共に生活している人々が、素敵です。
田舎に生活しているから素敵だと思うのです。
でも、その素敵さがわかる子ども達が沢山育つと良いと思うのですが・・・
レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」の様な!
いちごさん おはようございます
社会は、経済(お金)を指標にすると効率を考えます
要するに、その仕事とか地域が損か得か?が価値の基準となります
これは、人々が生活するうえでもちろん無くてはならない判断基準なのですが・・・
行き過ぎた経済原理主義は、多くの犠牲や代償を払うことにもなります
今の時代になりやっと環境だとか自然や資源の価値に気づきはじめました
レイチェル・カーソンのように・・・
ただ、最近思う事は(歳のせいか、健康のせいか・・・笑)
いちごさんの言うように
>何もしない方がいいかもしれませんね。そのままがいい!
>四季の移りかわりの中で、自然と共に生活している人々が、素敵です。
そんな生き方や山村のあり方があってもいいのかなと・・・
山村も私自身も、これまでに多くの大切なものを失った気がします
水窪さんが今まで一生懸命してきたことは、何も無駄な事はないはず!
家族や地域の人々がいつも後姿を見ていたと思います。
いつも真剣に取り組んできたことが私には想像がつきます。
だから得たものも多いはず。
しかし、いつも同じパターンで事業や取り組みが中途半端に終わってしまい、
そのたびに言葉にならない失望、絶望感と疲労が残と感じているのなら、
同じパターンにならないように、心をノーマルにして・・・
都会時間ではなく、田舎時間の自然のリズムで!
生意気なことを言いまして・・・・
応援しています。
いちご さん こんばんわ
応援のコメント、素直に嬉しくちょうだいいたします
・・・ありがとうございます
こんな素敵な応援団がいてくれたら、仕事にも張りが出ますね
弱音を吐いてちゃいけません(笑)
そうですね、、、
失敗や挫折のくり返しの中から明日への希望が生まれることを信じて!
それに、失ったもののかわりに、得たものだってあるのですから。。。
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