あることをきっかけに、都市(まち)の人たちとのお付き合いが始まり
ここしばらく、国や市など、行政がらみの仕事もさせてもらっている
本年度は国の再生助成事業の一環で、街の再生の検証と報告書を作成中・・・
大学関係、メディア、研究所など数人に、その執筆依頼をしているのだが
何度か、この街も訪れている雑誌編集者から、最初の原稿をいただいた
もちろん良さも、十分に伝えてくれているが、街の課題の部分をとりあげると
それは、かなり刺激的な内容だった・・・(以下、課題の抽出部分を抜粋)

>重要なのは、町の人たちが、水窪をどうしたいかだ
いささか抽象的、かつ感覚的になるが、水窪を含む北遠地域には
「この町をこうしたい」という意思があまり感じられないことが多い
>本当に水窪が交流人口の増加を図るなら、通りを歩く人に向けて
言葉ではなくとも自分達のメッセージを出すことが大事だ
>水窪の町は、漠然と「都会の人」を対象にした「町おこし」をすべきではない
水窪を知らない人をわざわざ呼ぶのではなく
もっと身近に水窪という土地の魅力を理解し
愛している人たちがいることを知った上で、まずは「来てくれる人」を相手に
彼らに向けた町からの意思表示をすべきだと・・・(以上)

(全文ではないが)これまでの自分たちの甘えた姿勢に喝を入れられた思いがした
本来再生とは、一度無くなったところから蘇ること、再開を図ること
そして、失ったものを取り戻すことである
それは、思うより厳しい道の選択なのだろう
この街に生まれ、農業を生業(なりわい)にし、四半世紀が過ぎた
仕事においては、幾つかの再生事業に携わり苦悩しながら
街づくりとなると、いつの間にか、その難題から逃避していた自分を恥じた
美辞麗句を並べたてた町の活性化案なるものには、何の意味も無かった
再生を望むには、企業も街もそれなりの覚悟と決意を要するのだと、、、
同感です!! 「まちずくり・・・」 なんて、偉そうなことは言えませんが・・
まずは、自分たちがその土地の、(歴史、文化等)をより身近に感じ理解することでしょうね。
なんて・・・偉そうなことを言いながら、自分が、まちのことを(歴史、文化等)全く知らないことに、気付かされました。
今、ブログ記事にしながら、チョットずつ勉強しています。
reboxさん こんにちわ
まず、ここに暮らす者が地元の良さであり、歴史であり、文化を知らないで”町づくり”も何もありませんよね
とともに、町のメッセージが何かはっきりさせなかったら、訪れる人も迷ってしまいます
自分はあまり人の意見を聞かないことで有名(地元では)ですが〈笑)、やっぱりこの街、このままでは、いけないんじゃないかと思います
別に観光地にしたいとか、お金が稼げる所にしたいのではなく、このままだと自分達の大事なものまで失ってしまう気がするのです
こんばんは。
私は、今回の話を拝読してえらく感激しました。
離れて住んで気付いた事も多いのですが、
水窪って独特の言葉、独特の食べ物、独特の風習を持つ
素晴らしい町だと思います。
商店街の町並みから葬式の風習まで、色々「ならでは」の物があると思います。
私の今の家の近くの人達には、胡桃和えがずば抜けて評判いいです。
まるの字 さん おはようございます
この編集者が言うには、「町づくり」はまず、地元の人たちが幸せになれることから始まるのだと・・・(同感です)
自分達の幸せづくりの延長線上に町づくりがあり、多くの訪問客が魅力を共感してくれるのだろうと思います
まるの字さんのいう、水窪の独特の言葉、独特の食べ物、独特の風習を磨くことが再生の一歩の気がします
決意と覚悟を楽しむ、、、、なにか矛盾するみたいですが、ここにヒントがあるのではないでしょうか!
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