正月に帰省していた大学の娘が名古屋へ帰り
浜松の市内の高校に通う息子も、冬休みが終わりアパートまで送りとどけました
賑やかだったわが家も、またいつもの落ち着いた生活へ
街の正月休みも終わり、帰省していた子供や親戚たちも都会へ戻ります
毎年のように、繰り返される田舎から都会(まち)への移動の光景

いつものことで、当たり前のような、そして少々寂しいような・・・
都会で毎日、家族が共に生活できる環境では、少し理解できない想いでしょうか?
この田舎街では、いずれ若者は家を出て行くことが当然ですし
そして、その多くが再び田舎に戻り生活する事はまずありません
昔のように職場のない現状では、なおさらです
せいぜい、この街の人口が増えるのは盆と正月と、、、そしてお祭りかな?

「地域活性の為、若者の雇用が出来る企業を誘致し・・・」と
久しく言い続けてきた、、、そんな旧水窪町からの時代がありましたが
今では、誰もそんな事は考えてはいません
社会や時代の移り変わりから、「それはもう無理なこと」と痛切に感じているのです
ただ、語弊のある発言のようですが、私はそれがけっして悪い事とは思いません
この街を違う価値観で見直し、水窪らしい街の生き方を見つけるべきだと考えます
過疎でも高齢化の町でもいいじゃないですか
ここで生きゆく人にとって、新たな生きがいが何であるのかを見出せれば
若者達が毎日ここにいなくても、忘れずにいつも帰ってきてくれれば、、、
まずは、今この街の人々が、現状を直視し自ら出来ることを始める
そして、少しでも可能性がある目の前の想いを形に達成するところから
この街は再出発していかなくてはなりません
水は高みから流れますが、風はどこから吹くか分かりません。妻籠宿や馬籠宿のように100年の眠りから覚めるように注目されることもあります。しかし、100年の眠りを守り続ける住民の苦悩は計り知れません。
TETSUさん こんばんわ
何か正月から力の入ったブログになってしまして、、、すみません!
地域の再生の道のりはもちろん簡単なものではないと思います、、、
妻籠/馬籠も昭和の終りから住民達が、地道に集落保存再生の取組みをしてきた結果ではないのでしょうか
今では世界遺産の登録まで話がすすんでいるようですね
再生・復興には、多くの人の援助や理解がなければかなわぬことです
人々から忘れられた町がよみがえるには、まずは地域の思いからなんだと痛感します
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