水窪の商工会にあった、昔懐かしい演芸興行のチラシです
水窪町が全盛期の頃、この街にはいくつか映画館があり
(今は、当然?・・・ひとつもありません)

当時は映画のほか、興行も盛んに行なわれました
水窪會舘、八幡座、小畑劇場・・・
チラシの“母の罪”は1952年、流行の浪曲映画を
三門博、天津羽衣の特別出演を得て東映東京が初めて作ったものだそうです
(もう50年以上昔の話ですね)
まだTVも無い頃、地元の人々の娯楽は演芸や映画・・・
子供の頃、よく怪獣映画を見た記憶があります
そういえば、プロレスの興行もきたこともありましたね

面白いのは、協賛広告のお店の数々・・・
昔懐かしい名前が載っています
大正から昭和の時代・・・
買い物も、娯楽も、この街の地域コミュニティは賑やかでした
この街の中で、人々の生活の総てが循環し完結していました
インターネットや通販、郊外量販店のような便利なものはありませんでしたが
街は、“ものも心”も確実に豊かだった気がします
こんばんは^^
懐かしいチラシを母に見せてあげました!
ものすっごく喜んでいましたよ!!
「懐かしい、懐かしい!」
と言って・・・・
お店の名前を見て
「若木屋がある!」
思わず声が・・・!
そうなんです、親戚のおばさんちなんですよね。
母の妹の嫁ぎ先が若木屋さんなんです^^
おばさん、まだまだ元気です。
本当にありがとうございました!!
前の過去記事を見ていたらもう一人親戚見つけました!
大きな会社の森下社長さんです。
母も驚いていました(^∪^)b
母の従兄弟らしいです。
そろそろ水窪まで行きたいなぁ~と思う今日この頃です・・・・
rudyさん おはようございます
そうでしたか!お母さん喜んでいただいて何よりです
当時と違って、水窪もすっかり様変わりしましたが・・・
ちなみに若木屋さんは私の同級生が今お店をやっています!
それと、テンポスの森下社長も同級生の兄でいろいろと個人的にも、お世話いただいています。
世間は狭いですね~~
これから水窪も新緑のいい季節です!
どうぞお越しください!
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