間もなく北遠でも新茶の時期を迎えます
昔から、北遠では農家がそれぞれ個人のお茶工場(こうば)を持っていました
今のように、巨大な共同製茶工場はありません
それはそれは、小さな小屋のようなもので
家族で摘み取りから、製茶作業までをこなしていたのです
時代は、手もみから機械に変わり、農家も小さいながら設備を整えました
夜中に起きて、まずお湯を沸かして・・・夫婦二人でのお茶作りでした
とても今では採算も合わず、次第に個人工場(こうば)は姿を消していくのですが
今でも、昔ながらに続けている農家もあります

水窪の街中から約40分、標高700mを越える大沢地区
この春、一本桜で有名になった大野地区から更に奥に入ります
わずかに数軒が生活をするこの地区で、お茶作りをしている人がいます
確か、もう年は80歳になりますよね
現役で工場を持ち製茶までしています、、、
半世紀にわたり、大沢地区でご夫婦でお茶作りに励んでいます
写真のお茶工場(こうば)も歴史を感じさせますね

隣には、集落の公民館?もあります
もうしばらくすると、こんな光景を見ることもできなくなるのでしょうね
昨日に続いてこんにちわ。
相月のおじさんの家にもお茶工場ありました。
「こうば」ですよね。
おじさんは、高齢のため数年前にお茶づくりはやめてしまいましたが、
工場はまだ残っています。
ちょうどこの時期、子供のころは、よくお茶摘みを手伝ったものです。
本当に家族や親せき総出で手伝った思い出があります。
あの頃のお茶づくりは、アットホームなもので、
人一倍自分の家のお茶といった、お茶そのものに愛情がありました。
大人になっても、毎日、故郷のお茶が欠かせない理由が
ここにあると思います。
いとっち さん こんにちわ
そうです「こうじょう」ではなく、「こうば」なんですね!
そんな個人の工場も、年々減っていきますね
昔は、それぞれに、作り手のくせや特徴のあるお茶があって個性的でしたね
残念ですが、今では大量生産となり、特色のあるお茶もなくなりました
親戚でお茶摘みして、家のじいちゃんが自分で製茶して
お土産にその手作りのお茶をもらって飲んで、、、
本当にふるさとの香り、我が家の味でしたよね!
懐かしきよき時代がありました。。。
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