★晴耕雨読、つづき★

水窪

2008年06月26日 07:58

   晴れた日には田を耕し、雨の日は家で読書をする。

   懐かしいことわざになってしまいました

   と言うのも、日本では高度経済成長が始まる昭和30年代までは

   農業を営む者が多かったので、「晴耕雨読」は農家生活の実感でした。

   しかし、サラリーマンが圧倒的に多くなった今では、

   天候よりも曜日に支配される生活パターンになってしまっているようです

   子供の頃を思い出すと、両親は、激しい降雨の日で、

   特に用事のないときには、これまで溜めていた新聞や雑誌などをゆっくり読んでいた。

   こうした生活の姿は遠い昔の田舎話になってしまったのです




   (細川護煕元首相、60歳で政界を引退、湯河原の「不東庵」にて「閑居」を実践)

   勤めをしながら農業をしている人は大変です

   会社の休みの土曜日・日曜日には農作業をしなければならない。

   農業機械が発達したことで、天候の悪条件や農作業労働時間も短縮されるなど

   非常に能率的になり、農業は「土・日曜百姓」で十分対応できるようになったのです

   かくして、今の日本は曜日支配の社会へ変質し

   田舎でも月曜日から金曜日の間、畑に出ている人は高齢者であり、

   若手がほとんどいない状況です

   「晴耕雨読」は、最早、農村生活では実りのないことわざになってしまったが、

   別のことわざには、ここで紹介した意味に加えて

  「煩わしい世俗を離れて、自然の中で悠々自適の生活を送ること。

   特に老後の理想的な生活に使われる」とありました


   まさにこちらの意味の方が、これからの成熟社会には必要でしょう

   20世紀後半で皆が身につけたエゴイズムをどれだけ払拭し、

   さわやかな年相応の生き方を創造できるかによって、

   この「晴耕雨読」のことわざは死語にならず、

   21世紀社会の生活スタイルに

   生気を吹き込むことができるかもしれないと思いますが・・・

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