★北遠の小京都、水窪★

水窪

2007年09月03日 13:28

商店街には、街のところどころに地名の由来の看板が記されてあります。

   (写真をクリックして、拡大してみてください!)

    『水窪の町を時の都、京都』 に見立てて

               いろいろな地名がつけられたのだそうです

               南北朝の時代、後醍醐天皇の孫尹由(ゆきよし)親王を守るため

この地の豪族、奥山氏が高根城を築きその対岸に親王の仮宮を建てました。ここを内裏(大理)とよび

親王が御旗をあげたところを小畑・・・(最初は御旗と言う名前だったとのことですが、恐れ多いと言うので、小畑と言うように変えた)

              として地名がついたのだそうです。

尹良親王につきましては隣、南信の大鹿村に

住んでいた南朝の宗良親王の皇子という人で、

極めて広範囲に活躍されたらしいのです
(実在の人かどうかは、諸説あります)

当時から、この地と南信との関わりは深く

浪合村には尹良親王のお墓とされるものがあり

住民は600年も前から守っています。           (写真は、親王のご陵墓です)

       私が感じているのは遠い京都から多くの人が、

                私達の住んでいる北遠・南信に来たことにより

       文化も同時に持ち込んでくれた。

                その影響は今日でも続いていると言うことです

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