★街の相次ぐ廃業★
地元で長く商売を続けてこられた飲食店が、また一軒廃業をしました
先日、こちらの奥さんに会い、丁寧にお礼の言葉をいただいたのですが、、、
既に店の看板や暖簾も片付けられていました
この店は、私が水窪に戻って以来、若い頃から随分とお世話になったものでした
若連、消防や自治会の会計の仕事が長かったせいもありましたし
母と同じ、信州(長野)の出身ということもあり懇意にしてもらっていました
ここしばらくは、ご主人を亡くされてから奥さんが頑張ってこられたのですが
なにせ、夜遅くまで身体にきつい水商売の仕事
そして、近頃では店に来られるお客も随分と寂しくなった様子
もうそろそろ引退の気持ちだったと思います
昭和30~40年代からの高度成長期、街が山林業全盛の時代
この店でも、それはそれは、毎晩賑やかな宴(うたげ)が繰り広げられていました
隣村の叔父が、山の庄屋さん(山で働く人達の親方ですかね)をしていていた頃
この店で毎晩、働く山師達と遅くまで飲み明かしていたものです
深夜、店に迎えに行くと何百本のお銚子が並んでいました(本当の話ですよ)
一晩で何十万円(当時のお金で)と使っていたのですよね
そして土木工事が隆盛の時代に移り、一時はこの街も建設バブルに踊りました
そんな時もいずれ終焉を迎え、街も疲弊し衰退の一途をたどることになるのです
幾多の時代を見続け、街の歴史の生き証人であったかのようなお店の廃業、、、
挨拶をして帰る奥さんのうしろ姿が、何かもの悲しく寂しそうで
「こちらこそ、お世話になりました」と、かける言葉も忘れていました
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